慶應チャレンジャーを経由してウインブルドン出場を果たしたルー
昭和の森フューチャーズ、鎌田は一藤木貴大選手に4-6、7-6(7)、4-0(対戦相手が途中棄権)で勝ち、見事予選通過を果たしました。ダブルスも鎌田・加藤組が主催者推薦枠を頂きました。明後日、シングルス本選1回戦では守屋宏紀(北日本物産)選手、ダブルスでは宮崎雅俊・畠中将人組と対戦予定です。
本日、開幕したウインブルドン、センターコートオープニングマッチで、男子ディフェンディングチャンピオンのロジャー・フェデラーと対戦したのは台湾のルー・エンスン。2007年の慶應チャレンジャーでプレーしていた選手です。慶應チャレンジャーを経由した選手がまた1人、ウインブルドン本選出場を果たし、センターコートに登場しました。大会主催者として大きな喜びです。
確かに慶應義塾大学蝮谷テニスコートでルーはプレーしていました!

以下、ルーに関して執筆したテニスクラシック2009年2月号の原稿です。ご参考まで。
今年の全豪オープン、台湾のルー・エンスンが世界トップ10選手のナルバンディアンから大金星を挙げて本選3回戦まで勝ち上がりました。昨年の全米オープンで錦織圭選手が本選ベスト16まで進出したことは記憶に新しいですが、今年26歳になる遅咲きのルーがグランドスラム大会で世界トップ10選手を破り、世界トップ60入りを果たしたプロセスから我々が学ぶべき点は数多くあります。私は2002年にルーと知り合いました。この6年間、コート内では選手としてコーチとして共に練習し、時には対戦相手として戦い、コート外では数多くの意見交換をしてきました。その中で感じたことをお伝えしたいと思います。
2001年4月の石和フューチャーズ、私は予選決勝で当時世界ジュニアトップ10選手であったルーと対戦する予定でした。しかし、ルーは私の予想に反して日本選手に敗れてしまい、対戦は実現しませんでした。後で知ったのですが、負けたのは、その数ヶ月前にルーは父親を亡くしてテニスに対してモチベーションが下がっていたことが原因でした。ルーは幼少の頃から父親にマンツーマンでテニスを教わって世界ジュニアトップ10まで上りつめたこともあり、非常にショックを受けていました。ルーが17歳の時のことです。その翌年、2002年5月の福岡フューチャーズ、ルーは再びテニスに対するモチベーションを取り戻し、世界ランクを340位台まで上げてきていました。その時のことで最も印象に残っているのは、同じ台湾選手と共に誰よりも早く会場入りして、朝から晩までコートに立って練習をしていたことです。身体が壊れるのではないかと思うくらいに、ひたすら練習をしていました。父親のショックは完全に乗り越えて、大きく成長したルーがいました。翌月、中国サテライトで私は1ヶ月間、ルーと共に練習し、試合をし、夜は何度も食事に出掛けました。その時に、ルーに父親の死をどのように乗り越えたのか聞いてみました。その時の答えは『今は父のためにもグランドスラムに出ること。』でした。その目は光輝いていました。その当時、タイのスリチャパンが世界ランクを70位台まで上げており、アジア人で世界トップ100に入るにはスリチャパンの様な体格とビッグショットがないと厳しいとの意見が多かった時期で、私もルーが世界トップ60入りを果たすとは、その当時は夢にも思いませんでした。これがルーにとっての第1の転機です。
2003年10月、世界ランクを200位まで上げていたルーが、ジャパンオープンの会場である有明コロシアムの選手ラウンジにて、シュトラーのコーチであるダーク・ハードフ氏と打ち合わせをしていました。そして、その年末からシーズンオフはドイツでシュトラーと共にトレーニングを積むようになります。当時、世界トップ10入りを果たしていたシュトラーとのトレーニングは非常に勉強になったようでした。2004年に会場にてルーと話をした際、シュトラーが厳しい坂道ダッシュトレーニングを何本も繰り返していたことを興奮して語っていました。世界トップ10選手がどのような練習をしてトレーニングをしているのか、直接ヒッティングパートナーとなってボールを打ち、日常生活で接している中で、多くのものを掴んでいったことは間違いありません。これがルーにとって第2の転機になりました。
そして、2004年5月にルーは念願の世界トップ100入りを果たします。ウインブルドンにも初出場し、本選1回戦を突破して、とうとう父親の夢を叶えることが実現しました。日本リーグにソニーとして参戦したのもこの年からになります。台湾では野球が最も人気があるスポーツであり、世界トップ100入りしてもスポンサーがなかなか付かないというのが現状でした。少しでもお金を稼げるところを探し、日本リーグにも参戦することとなったのです。10代で早くして世界トップ100入りする錦織圭選手のような早熟タイプは、活躍を期待されて欧米で開催されるグランプリシリーズ本選で主催者推薦枠をもらい、ツアー転戦の費用はマネジメント会社が負担し、コーチもマンツーマンで雇うことが出来、その中で確実に結果を残して世界トップへの階段を駆け上がっていきます。一方では、晩成タイプであるルーのような選手はグランプリシリーズ本選に出る為には、世界ランクを上げて予選を勝ち上がらなくてはならず、スポンサーが付きにくく、少ない予算の中で過酷な環境で開催されるアジアのチャレンジャーシリーズを転戦し続けていきます。インドの奥地、ウズベキスタンの片田舎、メキシコの高地等々、ルーはあらゆる過酷なチャンレジャーシリーズを戦場としていきました。外人コーチを1人で雇うことは金銭的に難しく、タイのウドムチョクと共にコーチをシェアしながらツアー転戦していました。ルーマニアのラドレスク、チェコのジャン、韓国のチョイとコーチは何度も変わりました。ルーはチャレンジャーシリーズを中心にしてポイントを稼いでいた為、世界ランク90位までランクを上げては世界ランク100位以下に下がる、という循環を繰り返していました。3度も世界トップ100入りを果たしながら常に定着出来ないジレンマを持っている中、第3の転機が訪れます。2008年の北京五輪1回戦、ルーは世界ランク6位のマレーをストレートで下す大金星を挙げました。何度も世界トップ100の壁に跳ね返されながらも、粘り強く頑張ってきた努力が報われた瞬間でもありました。その背景には、2008年全仏ジュニアで母国のヤンが台湾選手として初めてグランドスラムジュニアを制したこともあります。25歳となりもう若くない年齢となり、母国の後輩が押し寄せてくるプレッシャー。それがルーを押し上げたのは間違いありません。日本の添田豪選手も錦織圭選手の出現が良いプレッシャーとなり、自らのテニスに良い影響を与えています。
これまでのルーの戦歴を振り返ると、そこには国内から世界トップ100入りするモデルケースがたくさん隠されています。私は16歳から22歳までの世界基準に即したサポートこそが必要と考えています。今年はアジア選手の活躍からも目が離せません。














コメント
ルー選手についての貴重な情報、興味深く読ませて頂きました。ありがとうございます。
センターコートで、臆する事なく、堂々とフェデラー選手と打ち合っていたルー選手を同じアジア人として応援しながらテレビ観戦してました。
ナダル選手が欠場した今、大本命は、やはりフェデラー選手だと思いますが、個人的には日本人と体格があまりかわらないデュディ・セラ選手、フィリップ・コールシュライバー選手、そして今年で引退するサントロ選手あたりにも頑張ってもらいたいと思っています。
シンガポールの我が家では、日本の民放が映らないので、暇があれば息子とスタースポーツでテニスを観てます。
ちなみに息子は、07'全英(複)決勝が印象的に残ったようでクレマン選手のファンです。
ルー選手の情報のようなテニス界の情報、これからも楽しみにしています。
以上
投稿者: 久富 | 2009年6月23日 02:05